新庄剛志の生い立ちが気になる!韓国人の噂は?家族構成や人間性、高校時代はどんな? | 紋別市の観光旅行から人生は変わった

プロ野球

北海道日本ハムファイターズに監督就任したビックボスこと新庄剛志監督。

現役時代から派手なパフォーマンスが目につきますがその生い立ちが気になります。

韓国人という噂もありますが実際のところはどうなのか?

家族構成や人間性、高校時代はどんな?

そんな気になる新庄剛志の生い立ちから現在までを紹介します。

新庄剛志の生い立ちについて

今年50歳になる日本ハムの新庄剛志監督。

そんな新庄剛志にはタレントや実業家、クリエイター、地方競馬の馬主など華々しい側面があります。

現役時代、そして監督となった今も常に話題の中心にいて多くのファンを引き付けているわけですがけして幼少期から恵まれた生活を送っていたわけではありません。

新庄剛志の生い立ちを語る上では、今、テレビの画面で見ている状態からは考えらない苦しい生活も経験していたようです。

生まれたのは母親の実家である長崎県で誕生し3680グラムの大きな赤ちゃんでした。

生後10か月からはハイハイ歩きからすでに立ち上がって歩き出したというからビックリ。

ドラフト時にスカウトが走力A評価をしたのは、この時すでに始まっていたかもね(笑)

ただし、生い立ちとしては福岡県で造園業を家庭の長男となるわけですが父親は結構酒飲みということもあり結構大変だったようです。

それに対して母親も気が強い性格だったので負けてなかったみたいですね。

父親が造園業でしっかり働いてくれることは素晴らしいことですが、そのお金は酒代に消えてしまうのか、はたまた造園業がそこまで儲からないのか?新庄剛志の幼少期は満足いく食事も出来ない時期もあったようですね。

子供時代の貧乏生活を物語るエピソードとしては

・夕ご飯のおかずはゆで卵1個だけ。
・お昼ご飯の学校給食で栄養補給をまかなう。
私はたまご大好きなので、ずっと卵だけでも飽きませんがさすがに毎日ゆで卵1個だけの夕ご飯っていうのは飽きる以前に体壊しそうですよね。
まあ、それを補うために学校給食だったと思うんですが男子ならお替りもしやすいから良いですよね。
女子だと流石お替りは難しいと思います、そいういうキャラになってしまえば怖いもの無しですけど(笑)
そんな生い立ちからスタートした新庄剛志ですが人生どう変わるか分からないですね。
酒のみの父親も野球好きということもあり新庄剛志を小学校の頃から徹底的に野球を教えていたようです。
小学校の頃はソフトボールの監督の勧めで新庄剛志自信が少年野球チームを作りソフトボールの監督がそのまま少年野球の監督も務め新庄の父親はコーチをやるようになりました。
そこで新庄と父親の親子鷹の誕生でもあります!
のちの新庄剛志がプロ野球に選手に成れたのは父親のおかげと言っているのでそれは間違いないでしょう。

韓国人の噂もあるけどホント?

新庄剛志は韓国人なの?という噂がありました。

というか阪神時代は韓国人どころか当時の野村監督から宇宙人と言われてましたからね(笑)
それだけスケールの大きい人間・・・ではなく何考えてるか分からないということでしょうけど。

新庄は確かに顔立ちがよくハーフと言えばハーフに見えなく名もない。

ただ、韓国人だと同じアジア人ですからね、顔立ちはあまり関係ないでしょう。

というか同じアジア人でも特に韓国人と日本人は似ています。

タイやフィリピンと人だと明らかに顔立ちが違いますからね。

新庄剛志は、母親の実家、長崎生まれの福岡育ち。

バリバリの九州男児で、韓国人という確証はどこを探しても見当たりませんでした。

なのでこれに関してはガセネタっと言っていいでしょう。

ただ、韓国の人気俳優イ・ビョンホンと新庄剛志はsoKKuri?というサイトでは

・そっくり!1478票
・似てない・・・412票
そくり率78.20%

と上記のような結果でした。

確かにイ・ビョンホンと新庄剛志は顔の輪郭、特にアゴのライン、斜めから見た顔立ちは似ていると思います。

でも、それならイ・ビョンホンは日本人?ってうわさが出ても良いような気がするが(笑)

新庄剛志の家族構成

新庄剛志の家族構成は4人家族となっています。

父親は造園業を営んでいた新庄英敏さん(2011年に他界)

母親は新庄文子さん。

姉は新庄真由美さん。

新庄剛志の姉、真由美さんとは2歳違いで仲の良い姉弟です。

新庄剛志の人間性がしりたい

新庄剛志の生い立ちを見ていくと人間性も分かってきます。

その根底にあるのは幼少期の貧乏時代を経験したことにあると思います。

貧乏時代を経験すると多少のことではへこたれず物事をポジティブ思考に考えられるんですよね。

だからこそプロ野球選手になって成功を収めた後、信用していた人に20億円も横領されても今こうしてみんなの前で笑っていられる・・・

もちろん、あれから何年も経っているので立ち直ったとも言えますが実際、当時も怒ったり、大変な部分はメディアの前ではあまり無かったと思います。

今となっては笑い話のように話している新庄剛志!強敵です。

 

もちろん、ポジティブというだけじゃな頑固な人間性というのも子供の頃からありました。

町内のソフトボール大会で負けてしまった試合に審判の判定に泣きながら抗議したことがありました。

なかなか小学生が大人である審判に向かって泣きながら抗議するって無いですけどね。

それだけ自分の中では審判に判定が間違っているという確信があったんでしょう。

高校時代ははどんな?

新庄剛志の高校時代は野球通の父親の薦めもあり強豪校の西日本短期大学附属高等学校へ入学します。

小学校、中学校時代から走力と肩力には並外れた才能があった新庄剛志ですが高校は推薦ではなく一般性としての入学でした。

先輩にプロ野球選手がいる名門ですから練習はもちろん厳しい中では寮生活を送った新庄選手。

高校時代は残念ながら甲子園出場は成らなかったものの3年時の夏の甲子園大会予選の福岡大会では決勝戦の福岡大大濠戦で人生初のサイクルヒットを達成しました。

サイクルヒットってプロ野球選手でも生涯1度も達成したこが無い選手が多い上に地区予選とはいえ決勝戦で成し遂げるなんてさすが新庄らしいですね。

ただ、試合の方が残念ながら負けてしまいこれで高校時代の野球生活は終了です。

甲子園大会に出場できなかったこともありプロ野球のスカウトからも総合で特Aがもらえるほどの評価では無かったですね。

打力:B評価、走力:A評価、肩力:特選Aという感じだったでしょう。

結局、ドラフト会議では阪神タイガースから5位という下位指名。

背番号も入団当初は63番だったのでそこまで期待された選手では無かったでしょう。

それでも高卒入団3年目の1992年では亀山努選手とのコンビで亀新フォーバーを巻き起こすほどの実力と人気の選手に一気に駆け上がりましたからね。

高校時代は甲子園出場が無かったので全国的には無名選手だったんですがこの時から新庄剛志は全国的な人気者になった年でしょうね。

まとめ

今回の記事は「新庄剛志の生い立ちが気になる!韓国人の噂は?家族構成や人間性、高校時代はどんな?」でした。

常に明るくパワフルにポジティブに見える新庄剛志ですがやはり生い立ちを知る限り結構苦労していたことも分かります。

でも子供の頃の貧乏時代は今に役立っているし野球に導いてくれた父親、そして家族に感謝していることも分かります。

韓国人では?という噂もありましたがあれは単なるウワサの範囲でしたね。

人間性が良く高校時代は甲子園出場は叶わなかったもののその後プロ野球選手として大活躍。

メジャーリーグでも活躍して今年からは北海道日本ハムファイターズの監督としても期待がかかる新庄剛志監督、はたしてどんな采配も見せるのかこれから楽しみですね!

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