こんにちは、ユーキーです。
気がついたらあっという間に50を過ぎてしまいました。
ジャニーズで言えば「たのきん」世代です。
プロ野球選手で言えば元ヤクルトの古田敦也捕手や元中日の山本昌投手が同級生ですね。
それにしても山本昌投手なんて50歳過ぎてもプロ野球で活躍していたんですからね、ビックリしますよ。
こっとは小学生の少年野球の球だってきっと打てない・・・
腰痛持ちだし、高血圧だし、メタボまっしぐらでまさに代表的な中年の見本。
そんな僕は日本の南の島、沖縄県出身です。
東京で働く
沖縄で生まれ育ち、高校卒業後に東京で出て気がついたらあれよあれよという間に20年も東京で働いていました。
僕の予想では東京というのは大都会で僕みたいな田舎者には絶対馴染めないと思ったんですよね。
沖縄にいた時から社交的では無かったし、学校でも女子とはまったくしゃべらなかったですからね。
そんな僕がなぜまったく知り合いもいない東京に行ったのか?
まあ、一言で言えば家を出たかったということです。
勉強も嫌いだったので大学に進学するつもりもなかったし、地元で就職するにしても一度は外の世界を見てみたかった。
そして何より親元を離れてみたかったということですね。
別にしつけが厳しいとか、中が悪すぎるということは無かったんですが親元を離れてくらすというのにも少し憧れていたんです。
ただ、何も知らない東京へ行くんだからいきなり一人暮らしは不安。
なので高校の就職説明会で決まった会社に就職し寮に入ることにしました。
寮なら同期もいるので一緒にがんばれると思ったんです。
実際、同期のおかげで苦しい時も楽しい時も一緒に過ごすことができて良かったです。
ただ、東京にいた20年の間に3回ほど仕事を変えているんですね。
その中で一番長かったのが最後までがんばった”営業職”です。
営業なんて自分に一番合わない職業だと思っていました。
ただ、給料はそれなりに高い、その一点でがんばれたと思います。
もちろん会社は、仲の良い同期や後輩、先輩、上司もいっぱいいました。
ただ、得意先にはゴマすらないといけないし、休みの日も普通に駆り出されるし、終わるのが終電に難とか間に合わせるというのもざら。
忘年会シーズンは2件掛け持ちで得意先の接待をしないといけなかったですからね。
それでいて3時間後は、普通に朝礼時間って・・・て感じでした。
それでも年に2回は会社の旅行もあり、福利などその辺は充実していました。
会社の社員旅行は北は北海道から南は四国まで行きました。
僕の80過ぎる母親なんか未だに沖縄から離れたこと無いですからね。
沖縄なんて島国なんでほんと小さな島です、それでも沖縄から一泊二日の旅行でも出たくないって言いますからね。
なんでそんなに島から出てくないのか聞いてみたら沖縄の冬の10度でも寒くて大変なので、それ以下の世界は耐えられないようです。
また、たとえ夏でも飛行機が絶対に乗りたくないって言うんですよね。
そこまで言われたらしょうがないです。
ただ僕は年2回の社員旅行は東京にいた思い出の中でとても楽しかった。
北海道は良かったですね、札幌市や紋別市など観光旅行したけどホント良かった。
沖縄にいたら一生味わえない経験だよね。
まあ、沖縄と北海道ってまったく北と南で対局することもだからなお更、よく見えるのかも知れないけどね。
沖縄に帰る
ただ、40も近づいた頃、このままずっと東京で生活していけるのか?
ということに疑問を覚えるようになったんですよね。
これから子どもも育てないといけないのに毎日、朝6時半に家を出て、夜の0時過ぎに帰ってくるような生活を続けていては絶対に子どもの寝顔しか見れない・・・
妻だって一人で子育ては絶対に大変だろう。
そう考えて僕たち家族は子どもが生後半年の時に沖縄に帰ってきました。
帰って来たというより、ほとんど沖縄移住ですよね。
妻は本土の人だし、実家に住めるわけではないのでアパートを借りないといけない。
仕事もコネが無いから探さないといけない。
ホント出身は沖縄だけど沖縄移住というのがピッタリという感じです。
それでも今、何とかやってこれているので沖縄に戻って来たのは間違いでは無かったと思います。
このブログでは、そんな今住んでいる沖縄のことや好きな北海道のこと、また唯一の趣味である野球のことなどを中心に書いていこうと思います。