夏の甲子園2023(第105回全国高等学校野球選手権記念大会)で慶應義塾高校が107年ぶり2度目の優勝を果たした。大会は2023年8月6日から8月23日までの17日間、阪神甲子園球場で開催された。
大会には47都道府県から49の代表校が出場。初出場は共栄学園、浜松恵誠館、東京学館新潟、高知中央、東スポの5校。
今回は、その歴史的勝利と慶應義塾高校野球部の創設にスポットを当てる。
歴史的勝利
8月23日、決勝トーナメントが行われ、慶應義塾高校は優勝候補の仙台育英高校を8-2のスコアで破った。1916年の初優勝以来、2度目の優勝を果たした。107年ぶりの優勝。
初回、慶応の先発・丸田湊が本塁打を放ち1点を先制。2回にも丸田が二塁からタイミングよくヒットを放ち1点を奪い、3-0とリードする。
一方、相手の仙台育英は2、3塁から連打でチャンスを作る。無死走者なしで成功し、2・3塁を分け合う。3回以降、慶應の暴投にもめげず、2-3と勝ち越しに成功する。
5回、仙台育英の2番手・高橋昂希投手を攻め、慶応がリード。慶応の打者、福井直虫が左中間への適時二塁打で追加点を挙げ、4-2とリード。さらに安達秀樹が左中間への適時二塁打で1点を加え、5-2とリード。
慶應は5回に打者9人で一気に5点を奪い、8-2とリードした。両チームとも6回以降は無得点だった。よってこの大会、慶應が13安打8得点に成功したのに対し、仙台育英は7安打2得点にとどまった。その結果、慶應義塾は仙台育英に8-2で勝利し、甲子園優勝を果たした。
今大会、仙台育英はディフェンディング・チャンピオンとしてのタイトルを維持することができなかった。多くのスポーツ賭けの観衆は、仙台育英の連覇を予想していた。しかし、チームは試合中に多くのミスを犯し、連覇を逃した。
慶應義塾高校野球部について
慶應義塾高校の歴史は古く、悪名高い。慶應義塾大学の創立は1858年。1868年に慶應義塾と改称し、保育部と大学部を設置。1898年、慶應義塾の教育は保育科、普通科、大学科から構成された。以来、留学生の派遣、大学院や新学部の設置など、先進的な教育を続けてきた。
戦後、1948年の教育改革により、慶應義塾は慶應義塾高等学校に改組された。校舎は当初東京にあったが、1949年に横浜の日吉に移転した。
慶應義塾高等学校野球部は1888年に創部され、当初の名称は三田野球部であった。1892年、慶應義塾普通部を含む慶應義塾体育会が設立された。
1916年、第2回全国中学校野球大会(後に夏の甲子園大会に改称)で優勝。1920年、第6回夏の甲子園大会で準優勝。
以後、甲子園に何度も出場した。1962年以降、何度か決勝進出を果たしたが、優勝したことはない。その後、2005年まで甲子園出場はなかった。第77回選抜高校野球大会に45年ぶりに関東代表として出場。大会ではベスト8に進出した。
横浜に移転後、神奈川県最強のクラブとなる。のびのびとした野球スタイルと自由な価値観の導入で、慶應義塾高校野球部は他とは一線を画す存在となった。甲子園出場は春9回、夏18回。